「少しでも、楽になりたかった」
今から5年前、まだ私が30代だった頃。副業として物販の世界に足を踏み入れた理由は、そんな淡い期待だった。 転職したての給料は心許なく、将来への漠然とした不安。それを少しでも補うために、私は「目先の100円」を必死に拾い集める生活を選んだ。
結果として、私は300万円という、笑えない額の授業料を支払うことになった。 世間から見れば、ただの「大損」であり、無様な「敗北」だろう。
しかし、40歳になった今の私は、あの頃よりもずっと静かで、ずっと疑いの少ない場所に立っている。 なぜ、今日明日で1円の利益も出ないブログに、貴重な時間を投じているのか。 それは、私が「損得勘定」の定義を、根底から書き換えたからだ。
1. 「得」を追いかけて「大損」した、30代の私
当時の私の頭の中は、常に「相場」と「利益率」に支配されていた。 まだ子供がいなかったこともあり、自由になる時間はすべてパソコンの画面に捧げた。早朝や深夜のリビングでも、10円安く仕入れられる商品を探し、100円でも高く売れるタイミングを計る。
「今、500円の利益が出た」
その瞬間は、確かに得をした気分になっていた。しかし、その500円を得るために積み上げた「代償」を、私は計算に入れていなかった。
- 深夜まで及ぶ梱包作業で削られた、翌日の本業のパフォーマンス。
- 常に売上や在庫を気にするあまり、上の空で聞いていた妻の話。
- 何より、「労働を積み上げれば、いつか楽になれる」という根拠のない幻想に費やした、30代の貴重な3年間。
時給換算すれば数百円の労働に、私は数万円分の「価値ある時間」を差し出していた。 「得」を追いかけていたはずの私は、人生という大きな天秤の上では、**取り返しのつかない「大損」**をこいていたのだ。
2. 40歳。私が300万で学んだ、40代の「損得勘定」
300万を失い、すべてが燃え尽きた後に残ったのは、空っぽの通帳と、使い道のない物販の知識だけだった。 あれから月日が流れ、私は40歳になった。守るべき子供も授かった。
正直、今でも「早く金にならないかな」と思う夜はある。
今の私には、30代の頃のように「がむしゃらな労働量」でカバーできる体力も時間もない。 だからこそ、AIという相棒に出会い、ブログという表現の場を選んだ。
周囲は言うだろう。「ブログなんて、いつ金になるかわからないじゃないか」と。 確かに、今日私がキーボードを叩いて生み出した言葉は、1円の現金にもならない。
しかし、今の私にとっての「得」は、現金の増減ではない。
「消えていく労働か」それとも「積み上がっていく資産か」 今の私はそれだけを基準にしています。
物販の労働は、その場で消えてなくなる「消費」の労働となってしまっていた。手を止めれば、収入も止まる。 対して、ブログに置く言葉は、消えずに積み上がる「資産」だ。 そして、AIと対話しながら思考を深める時間は、私の脳内に「知恵」という名の、誰にも奪われない在庫を積み上げていく。
目先の1円を追って家族との時間を犠牲にすることこそが、最大の「損」。 未来の自分と家族を支える「種言(タネゲン)」を育てることこそが、真の「得」。
3. 300万の「損」は、負けではない
もし、あのまま物販で小銭を稼ぎ続けていたら、私は今も「効率の悪い労働」を「ビジネス」だと勘違いし、子供が生まれた今もなお画面ばかり見ていたかもしれない。
300万という大きな痛みを経験したからこそ、私は「労働量で勝負するフェーズは終わった」と悟ることができた。 守るべきものが増えた40歳の今、ようやく正しい戦い方に辿り着いたのだ。
お金は取り戻せる。だが、時間は絶対に取り戻せない。 私はもう、安売りの労働に自分の人生を差し出すつもりはない。 たとえ遠回りに見えても、自分の言葉を研ぎ、AIを使いこなし、自分にしか語れない価値を積み上げていく。
世間が何と言おうと、私にとってこれは「負け」ではない。
再起のために、あの時の自分が選ぶしかなかった「必然的な投資」だったのだと思っています。
あなたは「どちらの得」を選びますか?
・目先の現金を追いかけて、大切なものを切り売りし続けるのか。
・それとも、将来の自分を助ける「資産」を、コツコツと育てていくのか。
私が300万を失った果てに見つけた、この「再起の答え」の詳細は、私のnoteにすべて書き残した。→https://note.com/yagosennin/n/n6416fa617d2f?sub_rt=share_pb
かつての私のように、何かに追われ、余裕を失っているあなたにこそ、読んでほしい。
「損」をしても、「負け」ではないのだから。


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