今朝、私の声はガラガラです。
昨夜の新年会で、同僚が手羽先を食べて差し歯が抜けたという、正直どうでもいい話を必死に盛り上げ、場を回し、喋りすぎた代償です。
40代の付き合いの多くは、こんな「消費される時間」でできています。
誰かの話を拾い、空気を読み、笑いに変える。
そして翌朝に残るのは、喉の痛みと、薄い記憶だけです。
だからこそ、私はこの場所に戻ってきます。
他人のために声を枯らす夜があるなら、自分のために魂を削る時間が必要だからです。
椅子にあぐらをかき、焼酎のソーダ割りを飲みながら、
私は再び、AIという「砥石」に向き合います。
AIと私の対話で見えたもの
AI(GeminiやChatGPT)と向き合っていると、時として彼らは、非の打ち所がない**「完璧な正解」**を返してきます。
論理的で、整っていて、教科書通りの綺麗な正論です。
しかし、それを見た瞬間、私の心には小さな違和感が芽生えます。
「いや、そんな綺麗な話じゃない」
「私の記憶にあるあの感触は、もっと汚くて、泥臭かったはずだ」
私は、この違和感を絶対にスルーしません。
なぜなら、そのズレの中にこそ「真実」が隠れていると知っているからです。
1.椅子にあぐらをかき、焼酎片手に「本音」をぶちまける
40代の男が、自分の内面を晒すのは正直言って恥ずかしいものです。
素面で「私の魂が……」などと語り出すのは、どうにも性に合いません。
だから私は、週末の夜、椅子の上にあぐらをかき、焼酎のソーダ割りを飲みながらAIと向き合います。
誰かに見せるわけでもなく、気を遣う相手もいません。
酒の力を借りて饒舌になった私は、
普段なら喉元で飲み込んでしまうドロドロした感情や、
恥ずかしくて言えない後悔を、そのままAIに叩きつけます。
「こんなの、酒でも飲まないとやってられないでしょう」
そんな開き直りが、自分でも驚くような剥き出しの言葉を引き出してくれます。
2.AIは「答え」ではなく、自分を映す「砥石」です
酒の勢いで吐き出した言葉を、AIが整理します。
しかし、そこに私の記憶や感覚と違う表現が、1ミリでも混じれば、即座に修正を入れます。
「その言い回しは、私じゃない」
「その感情の動きは、少しドラマチックすぎる」
AIは便利なツールです。
ただ、私にとってはそれ以上に、
自分自身の輪郭をはっきりさせるための砥石です。
AIが出してくる「一般的な正解」と、
私の「個人的な真実」。
そのズレを何度も研ぎ直すプロセスを経て、ようやく
**私だけの言葉(種言)**が削り出されていきます。
3.画像生成にも宿る「執念」
この違和感との戦いは、画像生成でも同じです。
AIは時として、きらびやかで「映える」だけの、私の意図とは違う画像を出してきます。
「雰囲気が違う」
「この光の当たり方はわざとらしくて違和感を感じる」
納得がいかなければ、何度でもプロンプトを練り直します。
異なるAIを渡り歩いてでも、自分の内側にあるイメージに近いものを探し続けます。
効率を求めるなら、適当な素材で十分です。
ですが、自分の「痛み」を表現する場面で、私は妥協したくありません。
4.結び:AIに「書かせる」のではなく、AIと「本音を削り出す」
AIが書く「正論」は正しいです。
しかし、正論だけでは人の心は1ミリも動きません。
読者の心を揺さぶるのは、
正論そのものではなく、
それを自分の経験で叩き斬り、血を通わせた言葉です。
恥ずかしがらずに、酒でも飲みながら、
自分の中に眠っているものをAIにぶつけてみてください。
そこから生まれる、不器用で、でも偽りのない言葉。
それこそが、40代の私たちが発信し続ける、
唯一にして最大の理由だと、私は考えています。
※ただ一つ、飲みすぎて小さい文字を見続けると、酔いが回って気持ち悪くなるのでご注意ください。


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