「自分の好きなものくらい、自分でわかっている」。ずっとそう思っていました。40年以上、この自分をやってきたのだから、当然だと。
でも、それは間違いだったかもしれません。そう思わされたのは、ある夜の、ほんの些細なやりとりでした。
言葉にならなかった、たった1個
その夜、オーディブルで本を聴きながら、なんとなくAIと対話していました。子どもを寝かしつけたあとの、二時間だけ自分に戻れる時間です。ふと、AIにこう聞かれました。「あなたが譲れないものを、10個挙げてください」と。
軽い気持ちで答え始めました。家族、健康、書くこと、朝のコーヒー、一人になれる時間。九つ目までは、考えるより先に指が動きました。自分はちゃんと自分をわかっている、という手応えすらありました。
ところが、最後の1個で手が止まりました。出かかっていたのは、「週末に酒を飲むこと」でした。それを打ち込もうとした瞬間、指が止まったのです。なぜこれが自分にとって譲れないのか、自分で説明できませんでした。
情けない、と思いました。健康にいいわけでもない。誰かに誇れる趣味でもない。人に言えば、だらしない中年の言い訳にしか聞こえないでしょう。それなのに、10個から外そうとすると、なぜか胸のあたりがざわつく。外せない。でも理由が言えない。
面白いのは、すぐ答えられた9個より、この詰まった1個のほうが、あとになって気になったことです。すらすら出るものは、案外どこかからの借り物なのかもしれない。本当に自分の奥から出てくるものは、むしろ言葉にする前に、一度つっかえるのではないか。そう思いました。
掘ってみたら、儀式だった
気持ち悪かったので、そのまま掘ってみました。なぜ、週末の酒が譲れないのか。三回、なぜを重ねました。
出てきた正体は、こうでした。平日の私は、ずっと何かを「やって」います。会社では社員をやり、家では父親をやり、夜には副業で稼ごうとする人をやっている。どの顔も、誰かのために最適化された顔です。素の自分が、どこにもいない。
週末の酒は、その反動でした。誰にも管理されない、自分だけの時間。頑張った一週間への、ささやかな区切り。缶を開けるあの音で、ようやく肩の力が抜ける。あれは酒そのものというより、素の自分に戻るための儀式だったのです。
そこまで掘って、はっとしました。同じ根っこを持つものが、他にもあったからです。
子どもが寝たあとにAIを触る、あの二時間。副業でひと山当てたいから、というのは表向きの理由でした。本当は、日中ずっと役割をやって鈍った自分の感度を、もう一度取り戻すための時間だった。服は安物で十分だと思っているのに、靴だけは絶対に、少しだけいいものを買う癖。これも同じで、他人には見えない場所で、自分の感覚にだけは嘘をつきたくない、という小さな抵抗でした。
派手じゃないから、自分のものだった
並べてみると、しょうもないものばかりです。週末の酒、深夜のAI、ちょっといい靴。人に自慢できるものは、一つもない。
でも、気づいてしまいました。これらに共通するのは、たった一つ。「自分の感度で選んだ」ということでした。誰かが正解だと言ったからではなく、自分の内側の何かが「これがいい」と言ったから、選んでいる。だから、理由をうまく言葉にできなくても、外せないのです。
その裏返しに、少しぞっとしました。では、人生のそれ以外のほとんどは、何だったのか。仕事の選び方、お金の使い方、副業のやり方。思い返すと、その多くが「自分の感度で選んだ」ものではありませんでした。
30代の頃、私は物販の副業で300万円を溶かしました。あのとき私は、何ひとつ自分で選んでいなかった。稼いでいる人の真似をして、みんながいいと言うものを仕入れて、伸びている手法をなぞった。「これは違う」と鳴っていたはずの感度を、全部無視していた。流されて選んで、流されて消えたのです。
たちが悪いのは、流されているときほど、自分では「ちゃんと考えて選んでいる」と思い込んでいたことです。情報を集めて、比較して、いちばん良さそうなものを選んだ。プロセスは踏んでいる。でも、その比較軸は、全部が他人の基準でした。自分がどう感じるかは、最初から計算に入っていなかったのです。
小さな見分けの、積み重ね
だからいま、譲れないものが派手じゃないことに、少しほっとしています。週末の酒や、ちょっといい靴。誰にも見せない、しょうもないもの。でも、そこにだけ、流されていない自分が、かろうじて残っていました。
40代からの人生の作り直しは、たぶん大きな決断ではないのだと思います。転職とか、独立とか、そういう派手なものではない。もっと地味な、「これは自分の感度で選んだか、それとも流されて選んだか」という小さな見分けを、買い物ひとつ、休日の過ごし方ひとつで、何度もやり直していくこと。その積み重ねなのだと。
譲れないものは、いつも小さい。人に自慢できるものでもない。でも、その小ささの中にしか、自分の輪郭は残らないのかもしれません。
あなたが最後に、誰の目も気にせず、自分の感度だけで選んだものは、何だったでしょうか。もしそれがすぐに出てこないとしたら、その事実そのものが、静かなサインなのだと思います。
この「週末の酒」の正体を、40代で感度が鈍っていく経路までさらに掘り下げた話は、noteに書きました。




コメント