
2022年、物販をやめた翌日の夜。私はいつものようにリビングでノートPCを開いて、そこで手が止まった。
見るものが、何もなかった。
在庫の管理表も、売上の通知も、リサーチの続きも、もう存在しない。前日までの3年間、毎晩あれほど私を縛っていたものが、一晩で全部消えていた。
楽になるはずの夜だった
物販をやめる決断は、正しかったと今でも思っている。数百万円が消え、在庫の段ボールが部屋の一角を占領し、続ける理由はどこにもなかった。
だからやめた翌日は、解放感で満たされるはずだった。
実際、体は楽だった。夜の時間が戻ってきた。休日に在庫の心配をしなくていい。それなのに、リビングに座った私の中にあったのは、解放感ではなく空虚だった。
肩の荷が下りたのに、軽くならない。むしろ、荷物ごと自分の一部が持っていかれたような感覚だった。
この感覚の正体がわかるまでに、私は3年かかった。その間に仮想通貨とFXを始めて、また数百万円単位の授業料を払うことになるのだが、それは別の記事に書いた。今日はあの夜の空虚感だけを掘りたい。
「向上心」という誤訳
やめて数ヶ月すると、また落ち着かなくなってきた。何かをしていないといけない気がする。当時の私は、この落ち着かなさを「向上心」と訳していた。現状に満足しない性分なのだ、と。
でもこの訳は間違っていた。
一枚剥がすと、その下にあったのは向上心ではなく喪失だった。私が失ったのは物販という稼ぎの手段ではない。「夜の自分」だった。
副業をしていた3年間、私は二重生活の中にいた。昼は会社員として与えられた仕事をこなし、夜は自分の判断で仕入れ、値付けし、失敗する。昼の私の年収は会社が決めるが、夜の私の損益は私の判断が決める。うまくいっていたとは言えない。それでも夜の私は、確かに自分の足で立っていた。
物販をやめた日、消えたのは事業ではなく、この「夜の自分」のほうだった。
空虚感とは、収入源を失った感覚ではない。登場人物が一人減った感覚だ。
副業には、葬式がない
もうひとつ、あの空虚感が長引いた理由がある。
会社を辞めるとき、人は儀式を通過する。退職願を出し、引き継ぎをして、送別会で花束を渡される。周囲が「終わり」を認知してくれるから、本人も区切りをつけられる。
副業には、それがない。
誰にも知られずに始めて、誰にも知られずに終わる。私が物販をやめたことを知っていたのは、妻だけだった。会社の同僚は、私が3年間夜な夜な在庫と格闘していたことすら知らない。数百万円の損失も、撤退の決断も、社会のどこにも記録されない。
終わりの儀式がないと、喪失は処理されないまま残る。
葬式は死者のためではなく、残された者が死を受け入れるためにあると言われる。副業の終わりには弔いの場がないから、「夜の自分」の死をいつまでも受け入れられない。だから数ヶ月経っても、ふとした瞬間に落ち着かなくなる。あれは未練ではなく、喪が明けていなかっただけだと今は思う。
消えたのは副業で、時間割は残った
そしてこれが一番厄介なところだが、副業が消えても、副業のために組んだ生活は消えない。
3年間、私の一日は「出勤前のリサーチ、帰宅後の在庫管理」を前提に設計されていた。やめた翌日も、体はその時間割のまま動く。夜9時、いつもの席に座る。開くべき管理表はもうない。それでも体が、そこに座ってしまう。
空虚感の正体は、突き詰めればこれだった。器だけが残って、中身が消えた状態。
私は長いこと、あの落ち着かなさを性格の問題だと思っていた。飽き性だとか、欲深いとか、意志が弱いとか。でも違う。生活の設計図に穴が空いていて、穴は埋まりたがる。それだけの話だった。
だから数ヶ月後、私はその穴に仮想通貨を流し込んだ。中身を吟味したというより、穴の形に合うものを探した。夜の時間に、一人で、スマホとPCでできて、「夜の自分」を復活させてくれるもの。あの選択は投資判断ですらなかった。空席の補充だった。
穴の圧力で選んだものが、うまくいくはずがなかった。
穴を埋める前に、穴を見る
2025年7月に仮想通貨とFXをやめたとき、同じ空虚感がまた来た。二度目だったから、今度は少しだけ観察する余裕があった。
ああ、これは喪失なのだと。埋めるべき穴ではなく、まず見るべき穴なのだと。
数ヶ月、意識して何も始めなかった。空いた夜をそのまま空けておいた。落ち着かなさが来るたびに、「これは向上心ではない、喪だ」と訳し直した。その空白の期間があったから、年末にブログを始めたとき、初めて「穴の形」ではなく「入れる中身」で選べた気がしている。気がしている、としか、まだ言えないが。
副業の失敗談は世の中にたくさんある。でも「やめた翌日の夜」の話は、ほとんど語られない。始め方の情報は無限にあるのに、終わり方の情報はない。だから多くの人が、処理されない喪失を抱えたまま、穴の圧力で次を選んでしまうのではないかと思う。
もしあなたが今、何かをやめようとしているなら、やめた後の計画より先に、ひとつだけ想像してみてほしい。
やめた翌日の夜、いつもの席に座ったとき、そこに何が残っていますか。


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