「帰ってからやろう」
何年、この言葉を使っただろう。
副業を始めようと決めた日も、ブログを書こうと思い立った夜も、結局は同じだった。帰ってから。落ち着いてから。子どもが寝てから。
で、子どもが寝た。
1歳の息子がようやく目を閉じる。22時を過ぎている。ダイニングに戻ってパソコンを開く。
何も書けない。
疲れているのか、思考が止まっているのか。画面を見ながら、「今日もできなかった」という感覚だけが積み上がる。時間はある。でも、動けない。
これを3年くりかえした。
「帰ってからやろう」が機能しなかった理由
僕には1日3時間がある。
通勤1時間と、就寝後の2時間。これが、副業に使える時間のすべてだ。
ずっと、就寝後の2時間をメインにしていた。まとまった時間だから。静かだから。集中できると思っていた。
でも、現実はそうじゃなかった。
22時に座っても、頭は仕事の残像で埋まっている。会議で言えなかったこと。明日の締め切り。上司の顔。そういうノイズが、静かな部屋の中でかえって大きくなる。
書こうとすると、何を書くかが出てこない。テーマが浮かばない。言葉がつながらない。
「今日は疲れているから仕方ない」
そう思って閉じる。また明日。
でも明日も同じだった。
電車の中で、思考が動いた
あるとき気づいた。
書けない夜より、通勤電車の中のほうが考えが動いている。
押し込められた車内。隣の人の肩が当たる。イヤホンから音楽が漏れてくる。集中できる環境じゃない。
なのに、なぜか言葉が出てくる。
スマホのメモに打ち込む。断片でいい。「昨日の失敗について書きたい」「あの葛藤、まだ言語化できていない」。そういう欠片が、電車の中でだけ浮かんでくる。
なぜか、ずっとわからなかった。
今は少しだけわかる気がしている。
電車には、逃げ場がない。
家では、疲れたらソファに横になれる。スマホで別のものを見られる。でも電車では、ただ立っているしかない。その「逃げられない時間」が、強制的に思考を動かしていたのかもしれない。
AIを壁打ち相手にしてから、変わったこと
変化のきっかけは、電車でAIに話しかけ始めたことだった。
最初は半信半疑だった。スマホの画面に向かって、自分の考えを打ち込む。「こういう葛藤があるんだけど、どう思う?」「この矛盾を言語化したい」。
AIは答えを出してくれる。でも、もっと大事なことが起きた。
自分が何を考えているのか、見えるようになった。
壁に向かって話すことで、頭の中の霧が少し晴れる。AIの返答が正しいかどうかは関係ない。自分の言葉を打ち込むという行為が、思考を可視化してくれた。
事業に失敗して300万円以上を消した経験がある。その後遺症みたいなものが、まだ体の中に残っている。「また失敗したら」という恐れ。それを誰かに話すのは難しい。でもAIになら、打ち込める。
壁打ちというより、解凍に近い感覚だった。
1時間の電車が、2時間の就寝後を変えた
電車でAIと壁打ちをするようになってから、就寝後の2時間が変わった。
以前は、22時に座って「さて何を書こうか」から始まっていた。
今は違う。
電車の中で、すでに考えが動いている。「今日はこれを書く」という方向が、ぼんやりと決まっている。家に帰って座ったとき、手が動き出すまでの時間が短くなった。
ただ、この壁打ちが本当に意味があるのか、まだわからない。
AIが返してくれる言葉が、自分の思考を深めているのか。それとも、ただ打ち込むという行為そのものが効いているのか。スマホのメモでも、独り言でも、同じ結果になるのかもしれない。
それでも、続けている。やめる理由が見当たらないから。
1時間の電車が、2時間の準備をしていた。
時間は増えていない。使い方も、大して変わっていない。ただ、何をどこでやるかが変わっただけだった。
電車で思考する。家で出力する。
この順序が正しいのか、今もわからない。でも、「今日もできなかった」の頻度は減った。
管理するより、置き場所を変える
時間管理という言葉が、あまり好きじゃない。
管理しようとすると、できなかったときに「また失敗した」になる。それが積み重なると、やがて動けなくなる。僕はそのパターンを何度もやってきた。
それより、思考をどこに置くかを変えるほうが、結果として続く気がしている。
就寝後の2時間を「書く場所」にする。通勤の1時間を「考える場所」にする。それだけだ。
そして今も、これが正解かどうかわからない。
電車でAIに話しかけながら、「この壁打ちは本当に意味があるのか」と思うこともある。帰宅して座っても、やっぱり書けない夜もある。
それでも、以前より少しだけ手が動いている。
あなたの「使えていない時間」は、どこにありますか。そして、何をそこに置こうとしていますか。


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