月曜朝、5日間という「絶望」を前にして
月曜日の朝、会社へ向かう足取りはどうしても重くなります。
正直、理由を考えるまでもありません。これから始まる「5日間」が、ただ長い。
正直に言えば、1日8時間という拘束時間は、40代の体にはもう重たい。
デスクワークであろうと現場作業であろうと、15時を過ぎる頃には集中力は底をつき、体はクタクタになります。
組織の歯車であり続けることは、想像以上にエネルギーを激しく摩耗させる作業です。
「帰還」の瞬間に、足取りは軽くなる
しかし、一転して会社を後にする時の気持ちは、驚くほど晴れやかです。
一刻も早く家に帰り、子どもの顔を見て、妻と何気ない会話を交わす。
そして、子どもを寝かしつけた後の静寂の中で、私はようやく「自分」を取り戻します。
ブログの執筆に入る。
この一連の、自分自身のための行動を前にすると、駅へ向かう帰り道の足取りは、朝の重さが嘘だったかのように軽くなるのです。
会社は「糧」を稼ぐ場、ブログは「魂」を研ぐ場
以前の私は、会社で疲弊することにただ絶望していました。
しかし今は違います。
平日の8時間を、ブログという「種言」を育てるための「代償」の時間だと割り切ることにしました。
会社で感じる理不尽や、15時過ぎのあのクタクタな疲労感さえも、夜にPCの前で言語化するための「素材」になります。
「平日の自分」は家族を守るための盾であり、
「夜の自分」は、自分自身の独立を目指して、黙って刃を当て続ける職人です。
この境界線を明確に引くことで、私の精神はようやく健全なバランスを保てるようになりました。
この「二重生活」の先に、300本がある
8時間の労働は確かに長い。
月曜の朝は、これからもきっと憂鬱でしょう。
けれど、家に帰れば「研ぐべき言葉」が待っている。
そう思うだけで、単調なはずの平日の景色にも、少しずつ意味が宿り始めます。
平日に摩耗し、夜に回復する。
このサイクルを繰り返しながら、私は100本、200本、気づけば300本と、ただ積み上げていきます。
組織の歯車でありながら、心まで組織に売り渡さない。
派手さはありません。
それでもこれが、愛知県の片隅で、40代の私が選んだ「静かなる逆襲」です。
私がこの「二重生活」を続ける中で、何度も立ち返っているのが「種言(たねげん)」という考え方です。
思考を消費せず、言葉として結晶化させる。その原点については、こちらにまとめています。



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