家族が寝静まった深夜。
リビングの照明を落とし、一人で机に向かいます。
この時間は、私にとって単なる作業ではありません。
組織という大きな枠組みに埋もれかけた自分を、静かに掘り起こすための時間です。
平日は酒を断つと決めています。
思考が少しでも濁ると、内側に溜まった違和感を、言葉に変えられなくなるからです。
キーボードを叩き始めると、脳の使い方が切り替わります。
昼間に使っている脳とは、明らかに別物です。
昼の脳は、調整と忖度の連続。
夜の脳は、自分の本音だけを見つめています。
この感覚が、私には欠かせません。
世の中の40代を見渡せば、
仕事終わりに酒を飲み、テレビやSNSを眺めて一日を終える人が多いと感じます。
同僚や知人からは、
「もっと楽に生きればいい」
「そんなに力を入れて、何を目指しているのか」
そう言われることもあります。
波風を立てず、ほどほどにやる。
それが大人として賢い振る舞いだという考えも、理解できます。
ただ私には、その生き方が、自分を静かに鈍らせていくように感じられます。
気づかないうちに、牙を抜かれていく感覚です。
かつて、私は300万円を失いました。
次の支払いだけを見て走り続ける、自転車操業の日々でした。
苦しかったのは事実です。
それでも、あの頃の私は、今よりも自分の足で立っていました。
必死でしたが、確かな手応えがありました。
自分が生きていると実感できる瞬間が、確かにあったのです。
だからこそ、今の組織に漂う緊張感のなさが、恐怖に変わります。
曖昧な指示が飛び、責任の所在がぼやけた仕事。
そうした環境に長く身を置くほど、自分がすり減っていくのが分かります。
昼間の私は、組織の末端で働いています。
上流で決めきれなかったものを、現場で形にする役割です。
どれだけ踏ん張っても、その熱量が正しく受け取られることは多くありません。
努力は空気に溶け、何事もなかったかのように消えていきます。
この状態で一日を終えることはできません。
だから、夜が必要になります。
一人で思考を吐き出し、整理し、言葉として定着させる時間。
電車の中で過ごす孤独な時間も、同じ意味を持っています。
誰にも邪魔されず、自分の輪郭をなぞるための時間です。
今の私に足りないものも、はっきりしています。
言語化の精度を高めるための、語彙と解像度です。
感情を正確に言い当てる言葉が、まだ足りません。
その不足を自覚した上で、空いた時間は意識的に読書へ回しています。
他人の言葉に触れることで、
自分の中にある、まだ名前のついていない感覚に形を与える。
それができるほど、私の武器である言葉は、確実に研ぎ澄まされていきます。
孤独でいることは、私にとって弱さではありません。
自分を磨き続けるための、必要な環境です。
誰にも理解されなくて構いません。
1歳の息子が物心ついたとき、
そこに立っている父親の背中が、寂しいものであってはならないと思っています。
孤独の中に身を置き、自分を研ぎ続ける。
その先にしか、私が納得できる人生の後半はありません。
今夜も私は、静かにキーボードを叩きます。
自分の中に、確かな熱を通すために。
この文章は、ここで完結していません。
私の中では、すでに前後がつながっています。
それぞれ別の話に見えても、線は一本です。




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